魏志倭人伝

「魏志倭人伝」に書かれていることを、二つの本の内容を検討しながら、様々な観点から考察する

【Ⅴ】 これまでの考察で明確になった点

 以上の論考をまとめた後に、明確になった点を2点ほど示したい。

(1)「末盧国」で上陸した港は名護屋

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  諸説について、【Ⅲ】(2)「末盧国」で上陸した港はどこか? で詳しく述べた。大型構造船が長期間停留する港、魏志倭人伝の表現「草木茂盛し、行くに前人を見ず。」に適するのはやはり、呼子町名護屋港であると考える。島に囲まれた天然の良港である。秀吉の時代に名護屋港から尾根伝いに南に伸びる「太閤道」があったとし、魏使達はこの経路で移動したのではないか、と佃收氏が語っていることは、大変興味深い。
 倭人伝では、「末盧国」から「東南陸行」で「伊都国」に到る、とある。多くの論者がこの方向「東南」に苦労してきた。【Ⅲ】(2)「末盧国」で上陸した港はどこか? で述べたように、「(古代中国人の方向は)現在、われわれが使っている地軸の方位を真北・真南で表した地図に当てはめる場合、軌道に対して、23度27分、地軸が東に傾斜しているから、これだけは、必ず修正しなければならない。…そうしないかぎり、倭人伝の方位が今の地図の上では合わなくなる。」と述べた野津清氏の説を紹介し、佃氏は、名護屋港→前原市は東南東の方向になり、ほぼ東南であるとしている。私たちはこの考えを支持する。
 また、このように古代中国人の方向を理解することによって、倭国が「会稽東治之東」と書かれていることも了解できるのではないだろうか。(【Ⅲ】(7)「会稽東治之東」 参照)

 

(2)残りの1300~1500里をどこに求めるか?

 

 里数記事の里数を合計すると、10700里となる。一方「自郡至女王国萬二千餘里」と書かれており、帯方郡から女王国まで12000余里である。【Ⅲ】(4)「自郡至女王国萬二千餘里」の理解 で詳しく調べたように、古田氏と佃氏は「伊都国―奴国の100里は傍線行程」とし、孫氏は「伊都国―不弥国の100里は傍線行程」とし、安本氏は「斜行式」の読み方(=「放射コース式」の読み方)で、「伊都国―奴国、不弥国の計200里は傍線行程」としている。その為、実際に魏使が通った道のりは、傍線行程の里数を引いて、古田氏と佃氏と孫氏は10600里、安本氏は10500里としている。木佐氏はすべて主線行程だから10700里となる。12000里からこれらの10700里、10600里、10500里を除けば、残りは1300里、14000里、1500里となる。
 この残りの1300里、14000里、1500里をどこに求めるかが問題である。帯方郡から女王国までの行程の、(A)前に持って来るか、(B)中に持って来るか、(C)後に持って来るかしかない。


 (A)前に持って来たのが、木佐氏である。帯方郡治から帯方郡境(韓国との境)の1300里が中国人には明らかであったので記載されていなかったとする。12000里の始めに帯方郡治から帯方郡境の1300里があり、邪馬壹国は不弥国と接していると述べる。
(B)中に持って来たのが、古田氏と佃氏と孫氏である。三氏は、「対海国」の「方可四百余里」と「一大国」の「方可三百里」の記述から、二島のほぼ正方形の二辺を通るとして、「対海国」の二辺800里、「一大国」の二辺600里を加えて、1400里になり、10600里にこれを加えれば、ちょうど12000里となるとする。ただ、この1400里を古田氏は陸行とし、佃氏と孫氏は水行としている。
(C)後に持って来たのが、安本氏である。上で見たように、安本氏は「斜行式」の読み方をするから、伊都国から残りの1500里行った所に邪馬壹国があるとし、夜須町甘木市付近に邪馬壹国の位置を比定している。行程の最後に1500里を加えている。
ちなみに、高木彬光氏は12000里と10700里は誤差範囲内だとして論じていない。
 高木氏の説はともかく、どの説が正しいのか、私たちの間でも意見が分かれている。

 

 このことと直接関係はしないが、次のことも大雑把に考えると言えるのではないか。「奴国」は「二萬餘戸」、「邪馬壹国」は「七萬餘戸」、「投馬国」は「五萬餘戸」と記されている。戸数から考えて、「奴国」は現在の福岡平野(240Km2)を基盤とする国であり、「邪馬壹国」は現在の筑後平野(1200Km2)を基盤とする国であり、「投馬国」は現在の南九州(鹿児島県など)の平野を基盤とする国なのではないだろうか。               (HP作成委員会 2019年12月)

 

  魏志倭人伝レポート

  日本古代史の復元 -佃收著作集-

  日本古代史についての考察