魏志倭人伝

「魏志倭人伝」に書かれていることを、二つの本の内容を検討しながら、様々な観点から考察する

【Ⅱ】 いくつかの確認できる点

 ①、②を読みながらの感想を記していく中で、様々な論点の整理をしていきたいと思う。まずそれに先立って、私たちには疑うことが出来ないいくつかの点について確認したい。
 古代史は少ない資料から古代の在り方を推論していく。当然様々な推論が可能になるので、まずあり得ない事を確定することにより、議論が多岐に渡り過ぎるのを防ぐことができる。それによって、より密度の濃い議論をすることができると考えたからである。

(1) 卑弥呼大和朝廷の系譜の女王ではない

 

 倭の女王卑弥呼は中国の正史『三国志』、『後漢書』、『晋書』、『隋書』、また朝鮮半島の最も古い歴史書三国史記』にも、名前が明記されている古代東アジアの有名な女王である。『三国志』の中の『魏志』の中の第30巻「東夷伝」の中の第7条「倭人伝」(いわゆる魏志倭人伝)の中に詳しい記述がある。日本の歴史書では、どの様に扱われているか、見てみよう。『日本書紀神功皇后39年の記事に、『魏志』についての記述がある。「魏志云……」という述べ方で、明帝景初3年6月倭女王が大夫難斗米等を魏に派遣したこと、正始元年に魏が倭に詔書印綬を与えたこと、正始4年に倭王が魏に献じたことが、魏志倭人伝と全く同じ漢字を用いて記されている。『日本書紀』の記述者は明らかに魏志倭人伝を読みながら記述している。ところが、倭女王について記しながら、卑弥呼の名は書かれていない。『古事記』では『魏志』そのものの記述が全くない。記紀は、神武天皇を初代天皇とする大和朝廷が日本を支配してきたと記述している。もし、卑弥呼大和朝廷の系譜の女王であったなら、当然のように中国の史書に何回も書かれている女王の名前を記すだろう。古代においてこのように東アジア全体で有名な自分達の祖先を書かない訳がない。中国や朝鮮の史書によって明確に記述されている倭女王卑弥呼を、神功紀で名前を伏せてただ単に倭女王と記しているのは、この女王を神功皇后に見立てるという意図を持ち、更に、『古事記』では全く触れていないことは、卑弥呼大和朝廷(天氏)の系譜の女王ではないことを明確に物語っていると言える。
 記紀の伝えるところでは、神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后であり、子を孕みながら新羅征伐をしたとする古代の偉人である。その4代前とされる第10代崇神天皇は「戌寅」に死去したと『古事記』は記す。崩年干支「戌寅」から判断して、第10代崇神天皇は318年に死去したと考えられる。仮に、「戌寅」が干支の1周期前の258年だとしても、倭女王が朝貢したとする明帝景初3年(日本書紀)は西暦239年だから、時間的に、卑弥呼崇神天皇神功皇后の順になり、卑弥呼神功皇后はまったく違う時代の人物である。
 神功皇后より古い時代の女性でかつ大和朝廷の系譜の女性の大物ということから、天照大神卑弥呼である、あるいは卑弥呼の存在から天照大神についての神話が生れたというような説を述べる歴史家は多い(戦前では和辻哲郎白鳥庫吉などが示唆し、戦後では安本美典氏などがいる)。しかし、少なくとも『日本書紀』の著者は、卑弥呼神功皇后に見立てたいという意図をもって、神功皇后紀にこの女王の記事を書いている。この説の歴史家と、『日本書紀』の著者は、卑弥呼について全く異なる見解を示していると言える。
 

 尚、『日本書紀』によれば、記紀は天武10年(681年)3月に天武天皇が編纂を指示したとされる。天武天皇は「天氏」であるから、倭人であっても、「天氏」以外で日本に渡来した「卑弥氏」の支配は載せようとしない。邪馬壹国の卑弥呼倭の五王が直接に記紀に登場しないは、卑弥呼倭の五王が「卑弥氏」であるからである。
佃收氏は、大和朝廷(天氏)の天皇の実際の系譜と、記紀に記された天皇の関係について、更に深めた考察をしている。記紀は、渡来人である崇神・景行・応神・仁徳天皇を、万世一系大和朝廷天皇の系譜に組み入れて記述している、と述べる。また、天武天皇天智天皇は異なる王権の王であり、記紀の編纂を天武天皇(天武王権)から引き継いだ持統天皇以下の天智王権は、神武天皇から始まる万世一系の王権は天智王権であるように、記紀を書き替えている、とする。そのため、天武天皇天智天皇の弟にし、天武天皇の父は舒明天皇ということになって、天武王権を創設した実際の「天武天皇の父」は記紀には登場しない、と述べる。私達の目の前にある記紀は、この結果のものである。これらのことについて、佃氏は著書⑥『新「日本の古代史」(上)』『新「日本の古代史」(中)』『新「日本の古代史」(下)』の中で体系的に記述していることを、参考までに記しておきたい。

 

  魏志倭人伝レポート

  日本古代史の復元 -佃收著作集-

  日本古代史についての考察