魏志倭人伝

「魏志倭人伝」に書かれていることを、二つの本の内容を検討しながら、様々な観点から考察する

魏志倭人伝レポート-二著の批評を中心に-

 三世紀の日本、邪馬壹国(邪馬台国)、卑弥呼についての私たちの視野を広げてくれる本に出会った。①『かくも明快な魏志倭人伝』(木佐敬久著、冨山房インターナショナル2016年2月刊)②『決定版邪馬台国の全解決』(孫栄健著、言視舎2018年2月刊)の二冊である。この二冊が、どの様な点で私たちの参考になり、どのような点については賛成できないかを整理してみた。第一に自分たちの『魏志倭人伝に関係する知識を改めて整理・確認するためであり、第二に卑弥呼や邪馬壹国(邪馬台国)、三世紀の日本の歴史に興味を持たれている方々に私達の整理したことが少しでも参考になればと考えたからである。

 全体が30程のブログから成っているので、順番に見ることができるが、該当する目次をクリックすれば、その項目から見ることができる。また、各項目の最後にこのページへのリンクがあるので、そのリンクからこのページに戻ることができます。

[追記]

 この魏志倭人伝レポートは、2019年12月にインターネット上にアップされた。今回、新たに【Ⅱ】(2)邪馬壹国(邪馬台国)は近畿(奈良)にはない、を拡充した。今までの(2)の内容はそのまま(2-1)邪馬壹国(邪馬台国)は近畿(奈良)にはないとし、新たに(2-2)卑弥呼の鏡』(藤本昇著)の読後感想を付け加える。この本には、銅鏡や三角縁神獣鏡を考察する際の決定的な事実が示されている、と考えるからである。是非、(2-2)を見ていただきたいと思います。(2021年9月7日 記)

 

【Ⅰ】 ①、②に対する最初の読後感想
(1)②『決定版邪馬台国の全解決』の最初の読後感想
(2)①『かくも明快な魏志倭人伝』の最初の読後感想
(3)比評の視点

【Ⅱ】 いくつかの確認できる点
(1) 卑弥呼は大和朝廷の系譜の女王ではない
(2ー1)  邪馬壹国(邪馬台国)は近畿(奈良)にはない

(2ー2)『卑弥呼の鏡』(藤本昇著)の読後感想

(3) 魏志倭人伝での1里は約76m
(4) 景初2年が正しい

【Ⅲ】 個々の論点
(1) 対海国(対馬国)では、どこに寄港したのか?
(2) 「末盧国」で上陸した港はどこか?
(3) それぞれの国の位置の比定
(4) 「自郡至女王国萬二千餘里」の理解
(5) 「水行十日陸行一月」の解釈
(6) 狗奴国の位置
(7) 「会稽東治之東」
(8) 倭人、倭国とは何か
(9) 補足

【Ⅳ】 二著の章ごとの批評
(1)②『決定版邪馬台国の全解決』の章ごとの批評

<第1章 魏志の再発見へ>
<第2章 中国史書の論理に学ぶ> <第3章 『魏志』里程記事を読む>
<第4章 三世紀の実相> <第5章 一大率と伊都国について>
<第6章 東アジアの中の日本>

(2)①『かくも明快な魏志倭人伝』の章ごとの批評

<第1章 魏志倭人伝は明快にかかれている>
<第2章 東夷伝序文の「長老」と韓の反乱> <第3章 短里と長里>
<第4章 「魏志倭人伝」研究史と皇国史観> <第5章 「島国」と漢書、後漢書>
<第6章 「従郡至倭」と起点と経由> <第7章 狗邪韓国と「七千余里の論証」> 
<第8章 対海国から女王国まで>
<第9章 倭の政治地図と裸国黒歯国>
<第10章 倭国の風土と外交>
<第11章 女王国の歴史と「倭国乱」>

<第12章 天孫降臨の山>

Ⅴ】 これまでの考察で明確になった点

(1) 「末盧国」で上陸した港は名護屋
(2) 残りの1300~1500里をどこに求めるか?

 

   日本古代史の復元 -佃收著作集-

   日本古代史についての考察