魏志倭人伝

「魏志倭人伝」の二著の批評

(9) 補足

 余分と感じる人がいるかもしれないが、このことに関連して、次のことにも触れたい。日本列島に渡来した人たちが建国したと言うと、日本の固有の価値が失われるとして、むきになって反論する人々がいる。私たちは史実をきちんと受容し、そこから出発して行く以外、方法はないと考える。また、過去に日本列島に渡来して来た集団が国を作ったとしても、現在の日本の固有の価値が失われるものではない、と思っている。

 

 この点で参考になるのは、イギリスである。「ノルマンの征服」により、イギリスは1066年フランスのノルマンディー公ウィリアムに征服された。ウィリアムはウィリアム1世として、イングランド王に即位する。現在のエリザベス女王もこのウィリアム1世の後裔だと明確に語っている。以後、支配階級がドーバー海峡を越え、会話や文書はフランス語、正式な文書はラテン語で書かれ、イギリスの政治、経済、社会、文化活動の一切が、支配階級によってなされた。この状態は、約300年間、英仏百年戦争が始まる14世紀初めまで続く。江戸時代の期間とほぼ同じ期間である。この長期間の支配によって、英語が大きく変容したことを示しているのが、『英語にも主語はなかった』(金谷武洋著、講談社選書メチエである。現在の王室がフランス王の後裔であり、長期間に渡ってフランスの支配を受けたイギリスは、決してフランスの属国とはならず、固有の文化を誇っている。ユーラシア大陸の西と東に海峡を隔てて存在するイギリスと日本。イギリスで起こったようなことが、日本の過去に起こっていないと言えるだろうか。


 この議論に、金谷武洋氏の本を揚げたのは、英語やイギリスの文化が大きく変容したことを理解し易いためだけではない。『日本語に主語はいらない』(金谷武洋著、講談社選書メチエ『日本語文法の謎を解く』(金谷武洋著、ちくま新書などにも、興味がある方は是非目を通していただきたいと思うからである。『主語を抹殺した男』(金谷武洋著、講談社は大変迫力があった。私たちは、日本語の学校で習う文法は日本語を使う場合に余り役に立たない、という印象を前から持っていた。それは、日本語の文法が日本語の構造や成り立ちをうまく捉えていないからであろうと思われる。英語やフランス語のようなヨーロッパの言語は、主語の人称や単複が決まらないと、動詞の活用形が決まらず、文章が作れないから、主語が文章の骨格となる。しかし、日本語では、主格にそのような機能はなく、根本的な文章の構造が異なっているのだということを、金谷氏は説いている。カナダ人に日本語を教える中から、新しい日本語の文法を作り出している。私たちは、共感を持って金谷氏の本から学ぶことができた。金谷氏はこれまでの日本語の文法を批判するから、当然、国語学会というのか日本語学会というのか正式な名称は分からないが、そこから反応があるはずである。しかし、ほとんど無視されたと言う。古田武彦氏などの批判に対する日本史学会の反応とよく似ている気がし、閉鎖的、権威的な日本の人文科学の世界を写し出しているような気にもなってしまう。素人の考え過ぎならいいのだけれど…。少し横道にそれてしまった。

  日本古代史の復元 -佃收著作集-

  日本古代史についての考察