魏志倭人伝

「魏志倭人伝」の二著の批評

魏志倭人伝レポート-二著の批評を中心に-

三世紀の日本、邪馬壹国(邪馬台国)、卑弥呼についての私たちの視野を広げてくれる本に出会った。①『かくも明快な魏志倭人伝』(木佐敬久著、冨山房インターナショナル2016年2月刊)、②『決定版邪馬台国の全解決』(孫栄健著、言視舎2018年2月刊)の二冊で…

【Ⅰ】 ①、②に対する最初の読後感想

詳しい批評は【Ⅳ】で記すことにして、まず、二著①、②の最初の読後感想を述べてみたい。②『決定版邪馬台国の全解決』から述べることにする。 (1)②『決定版邪馬台国の全解決』の最初の読後感想 この本は、過去に出版された2冊の本『邪馬台国の全解決』(198…

(2)①『かくも明快な魏志倭人伝』の最初の読後感想

著者の木佐氏は、多方面にわたる知識の持ち主であり、教養豊かな方であるのだろう。日本古代史に関する今までの学者や研究者の説、それに対して痛烈な批判を展開した古田武彦氏が主張してきたことなどを、しっかりと受け留め、バランスの取れた判断力で裁断…

(3)比評の視点

この二著の他、かつて読んだ次の本にザッと目を通した。③『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著、ミネルヴァ書房、朝日文庫)、④『倭人伝を徹底して読む』(古田武彦著、ミネルヴァ書房、朝日文庫)、⑤『俾弥呼』(古田武彦著、ミネルヴァ書房)、⑥『新「…

【Ⅱ】 いくつかの確認できる点

①、②を読みながらの感想を記していく中で、様々な論点の整理をしていきたいと思う。まずそれに先立って、私たちには疑うことが出来ないいくつかの点について確認したい。 古代史は少ない資料から古代の在り方を推論していく。当然様々な推論が可能になるので…

(2) 邪馬壹国(邪馬台国)は近畿(奈良)にはない

明治以降戦前までは、特に天皇制による求心力によって近代国家を築いていくことが最優先された。原文の「邪馬壹国」を「邪馬臺国」と直して、この女王国を大和朝廷につなげようとする。その中から、近畿説、九州山門説などが出てくる。 魏志倭人伝は、ほぼ20…

(3) 魏志倭人伝での1里は約76m

昔、高校での授業で、魏志倭人伝に書いた通りに進むとすると、1里=434mだから、行程は日本列島からはるかに飛び出てしまう。従って、魏志倭人伝の記述は途方もないものであり、そのままでは全く根拠にすることができない、というように習った記憶がある。 …

(4) 景初2年が正しい

魏志倭人伝の後半の部分で、魏と倭国の交渉の記録が示される。景初2年(西暦238年)6月倭女王は大夫難升米を郡に詣らせ、魏に朝貢を願い出た、と書かれている。ところが、前に触れたように、この事績の年を、『日本書紀』神功皇后39年の記事では景初3年(239…

【Ⅲ】 個々の論点

さて、以上の考察に続いて、個々の論点について考えてみよう。 (1) 対海国(対馬国)では、どこに寄港したのか? 魏志倭人伝で、対海国(対馬国)は「方可四百餘里」と書かれている。現在は、二つの島に分かれているが、当時はつながった一つの島であった…

(2) 「末盧国」で上陸した港はどこか?

帯方郡から朝鮮半島に沿って船で狗邪韓国に到着し、対馬、壱岐を経て「末盧国」に上陸している。古田武彦氏は「陸行1月」を説明するために、「韓国国内を陸行している」としているが、これは論外としていいだろう。帯方郡から港まで行き、船で出発する。その…

(3) それぞれの国の位置の比定

前の節では、木佐説のみ一気に女王国の位置までいってしまった。ここで、各論者の特定する場所を一覧表にして見てみよう。 この表から、魏志倭人伝が記す邪馬壹国への行程や邪馬壹国の位置などを、各論者がどの様に考えているかが分かる。 日本古代史の復元 …

(4) 「自郡至女王国萬二千餘里」の理解

魏志倭人伝の前から三分の一の部分は行程や国々などの地理情報を著している。この部分の最後に記された「自郡至女王国萬二千餘里」の「萬二千餘里」を各論者がどう理解しているかを、次に見ていく。この文は、帯方郡から女王国までの道のりが一万二千余里で…

(5) 「水行十日陸行一月」の解釈

次は、「南至邪馬壹国女王之所都水行十日陸行一月」と記されている「水行十日陸行一月」をどう理解するかについて、やはり五氏の説を見ていこう。 <古田説> 「水行十日陸行一月」は、帯方郡治より邪馬壹国に至る全行程の全所要日数とする。帯方郡治→帯方郡…

(6) 狗奴国の位置

次に、狗奴国の位置について考察してみよう。 21ヶ国の名が記される最後に「…有奴国此女王境界所尽」と述べ,続いて「其南有狗奴国男子為王其官有狗古智卑狗不属女王」と述べ、「自郡至女王国萬二千餘里」と続く。また、倭人伝の最後の方で、魏の張政が派遣…

(7) 「会稽東治之東」

古田武彦氏は③『「邪馬台国」はなかった』の「いわゆる「共同改定」批判」と題する第2章の最初で、魏志倭人伝の中で、誤りだとして字を修正された箇所が「邪馬壹国→邪馬臺国」の他に、3箇所あると指摘した。「邪馬台国」学者によって、「原文の誤り」とされ…

(8) 倭人、倭国とは何か

魏志倭人伝の冒頭「倭人在帯方東南大海之中」とあるが、この時期よりずっと以前から倭人が帯方郡の東南の大海中、すなわち日本列島に居たわけではない。例えば、鳥越憲三郎氏は『古代朝鮮と倭族』(中公新書)の「はじめに」の中で次のように語っている。「…

(9) 補足

余分と感じる人がいるかもしれないが、このことに関連して、次のことにも触れたい。日本列島に渡来した人たちが建国したと言うと、日本の固有の価値が失われるとして、むきになって反論する人々がいる。私たちは史実をきちんと受容し、そこから出発して行く…

【Ⅳ】 二著の章ごとの批評

最初に述べたように、①と②の批評に移る。【Ⅰ】と同じように、② → ①の順とする。 (1)②『決定版邪馬台国の全解決』(孫栄健著)の章ごとの批評 <1章 魏志の再発見へ> 1章では、最初『三国志』の中の『魏志』第30巻東夷伝の中の韓伝と倭人伝にだけ、共通…

<2章 中国史書の論理に学ぶ>

2章は、『魏志』は「春秋の筆法」で書かれているので、筆法を解読しながら読まなければならないと述べることから始まる。しかし、そのためには、春秋学と古典に対する深い知識が必要となり、現代人には難しいので、このことを理解していた先人に教えてもらう…

<4章 三世紀の実相>

この章では、倭国の実地理について述べるとし、有名な榎一雄氏の提唱した「放射コース式」読み方を支持する。伊都国までは、「方位+距離+地名」の形式を取り、直線コースを表すが、伊都国から後は「方位+地名+距離」の形式になり、放射コースを表してい…

<6章 東アジアの中の日本>

春秋時代の「文姜説話」を述べ、春秋学の伝統的なレトリック「属辞比事」を説明して、中国の史書はこのような書き方をしていることを理解して読まなければならないと述べる。245年、難升米に黄幢を下賜し、郡に付して仮授せしめたこと、247年張政等を遣わし…

(2)①『かくも明快な魏志倭人伝』(木佐敬久著)の章ごとの批評

<1章 魏志倭人伝は明快にかかれている> 魏志倭人伝は、誇張や虚偽が多いという通説が出来上がっているが、魏から派遣された郡使・張政が正始8年(247年)から泰始2年(266年)まで足かけ20年に及ぶ実際の倭国での軍事行動を伴う滞在による報告に基づいて書か…

<第2章 東夷伝序文の「長老」と韓の反乱>

『三国志』夷蛮伝には、二つの序文、「烏丸鮮卑伝」序文と「東夷伝」序文がある。特に、「東夷伝」序文には、東夷の世界の様子を初めて明らかにしたという陳寿の自負が語られている。「東夷伝」序文には、次の文書「長老説くに、「異面の人、有り、日のいづ…

<4章 「魏志倭人伝」研究史と皇国史観>

古田武彦氏は「邪馬壹国」が「邪馬台国」に、「会稽東治の東」が「会稽東冶の東」に、「景初二年」が「景初三年」に、紹熙熙本の「対海国」が「対馬国」に、「一大国」が「一支国」に書き換えられてきたことについて、厳しい批判を展開した。このような書き…

<第6章 「従郡至倭」と起点と経由>

最初の行路記事「従郡至倭・・・狗邪韓国 七千余里 始度一海 千余里 至対海国。」について述べる。杜甫の五言律詩「春望」、李白の七言古詩「長恨歌」を例に挙げ、倭人伝冒頭からのリズムを解説する。意味内容とリズムがマッチして、韻が見事に踏まれた倭人…

<8章 対海国から女王国まで>

この章の前半部分では、対海国に至り、伊都国に到着するまでの行程について、主に考察する。対海国では浅茅湾に寄港したとするが、対海国の「方可四百余里」については、古田氏の見解などとは違う見解を示す。「方○里」という表現は、古代における「面積の一…

<第9章 倭の政治地図と裸国黒歯国>

国名のみ21カ国が記され、最後の「奴国」の後、女王の境界が尽きる所と書かれ、その後に「其南 有狗奴国 男子 為王」とある。この21カ国は遠絶で詳しいことを得ることはできない旁国であると、木佐氏は述べ、女王国の南に旁国21カ国を置き、その南に狗奴国を…

<第10章 倭国の風土と外交>

倭人が地位に関係なく皆、体や顔に入墨をしている習慣があることを、中国の人々によく知られている『史記』や『漢書』に書かれている「会稽」での記事を用いて説明している。また、倭国は地理的に「会稽東治」の東に在ると述べている。この内容については【Ⅲ…

<第11章 女王国の歴史と「倭国乱」>

古田武彦氏は、『魏志』斉王紀に「俾弥呼」と記されていることから、卑弥呼ではなく、卑の字に人偏のついた「俾弥呼」が女王の正式名称であると述べ、更に、「ヒミコ」ではなく、「ヒミカ」と読むべきだと主張した。(⑤『俾弥呼』(古田武彦著))これに対し…

<第12章 天孫降臨の山>

この最後の章は、ページ数の関係で結論を急いだのかもしれないが、著者が代わったような印象を受ける。昔の歴史学者が「歴史はロマンだ」と言って、自分の文学的な印象を述べる歴史書のような感じを受けた。記紀は高天原からニニギノミコトが天孫降臨したこ…