魏志倭人伝

「魏志倭人伝」の二著の批評

(3) 魏志倭人伝での1里は約76m

 昔、高校での授業で、魏志倭人伝に書いた通りに進むとすると、1里=434mだから、行程は日本列島からはるかに飛び出てしまう。従って、魏志倭人伝の記述は途方もないものであり、そのままでは全く根拠にすることができない、というように習った記憶がある。
 それに対して、③『「邪馬台国」はなかった』(古田武彦著、朝日文庫1971年刊)の記述は衝撃的であった。漢・唐の長里に対して、魏・西晋の短里があり、魏志倭人伝はこの短里に基づいて記述されているとし、1短里=75m~90mと述べる。また、「邪馬壹国」の「壹」がどの様な経過を辿って「臺」と変化し、「邪馬台国」と言われる様になったのかの説明や「島めぐり」読法などによる記述は、すごく説得力があったことを記憶している。

                   f:id:kodaishi:20191226201541j:plain(①p.224の図7-1より)

 魏志倭人伝では狗邪韓国から対馬まで千余里と述べられている。朝鮮半島から対馬までの実際の距離は約60Km程度だから、千里で割り算をすれば、1里≒60mとなる。魏志韓伝では、韓は方4千里と述べられている。朝鮮半島の東西の幅を300Kmとすれば、これも割り算をして、1里≒75mとなる。帯方郡-狗邪韓国-対海国-一大国-末盧国の地図を見ながら魏志倭人伝を読めば、1里=434mという解釈はどう見てもおかしいと思うのだが、古田氏の③『「邪馬台国」はなかった』を読んだ後、このようなことすら据え置かれて魏志倭人伝が解釈されてきたかと思って、既存の日本古代史に対して不信感を強く感じたことを覚えている。
 古田氏は言う。従来、長里は中国の一貫した里程であると考えられてきたが、魏・西晋朝公認の短里(1里=77m)がある。「倭人伝の里単位は韓伝と同じであり、韓伝は高句麗伝の里単位と同じであり、そしてさらには、本伝の帝紀に出てくる里単位であるということになります。」(④『倭人伝を徹底して読む』p.148)
 これに対して、②『決定版邪馬台国の全解決』の中で孫氏は、「魏・晋里は1里=434.16mであり、三国志の里単位は、韓伝と倭人伝だけ例外としてすべてこの魏・晋里と一致し、多くの学者達によって考証済みだ。」(②p.32)と反論する。更に、魏志で韓伝と倭人伝のみ5倍の誇大表示されていることには深い訳があるとし、『三国志』の著者の陳寿西晋を築いた司馬懿(宣帝)との関係などから説明している。


 佃收氏は古田氏を支持し、『邪馬一国の証明』(古田武彦著、角川文庫)の巻末に載せられている谷本茂氏の論文「魏志倭人伝と短里『周髀算径』の里単位」によって周の時代に確かに短里があったことが立証されたとし、このことが示されたのは30年以上前のことだ、と指摘する。
 安本美典氏は⑧『邪馬台国ハンドブック』の中で次のように述べている。「三国志の中には、中国本土内の距離を、「里数」で記している箇所が何箇所もある。中国本土内の二地点間の距離の記載を、地図上の実測地と比較してみると、1里は、ほぼ400m強となる。これについては、篠原俊次が、『計量史研究』という雑誌に発表された極めて詳細な研究がある。(当時は、中国本土内でも、1里は100m弱であったとする古田武彦の説があるが、これは、実測地と、ほとんど合致していない。)白鳥庫吉も、『魏志』や『呉志』などにあげられた「里数」について、いくつかの考察をし、それらが、だいたい標準里(1里=400m強)に合致していることを論じている(「倭女王卑弥呼考」)。」として、古田説を否定している。
 木佐氏は、①『かくも明快な魏志倭人伝の第3章を短里と長里と題し、詳しく述べている。「魏志倭人伝を含む東夷伝の「里数」は、基本的に「歴史記述」ではなく、西晋の読者への「現状記述」という形で用いられており、西晋の正式な里単位が「短里」であったことを示している。」(p.103)とする。また、『魏志』明帝紀の記事について、対立する山尾幸久氏と古田武彦氏の説を詳しく検討し、山尾氏の説に賛成している。更に、「真理文」と「出来事文」の違いについて説明し、「真理文」については、西晋の正式な認識であるから短里で書かれている、とする。ところが「出来事文」になると過去の出来事だから、資料にあったすべての長里を短里に直すのは難しく、特に「引用文」については、長里のままで記述するのが自然である、と述べる。そして、『三国志』は東夷伝序文に強調されているように、魏代から西晋代にかけて、倭国を中心として東夷に対する新たな認識が広がったことを、直前の『漢書』の欠を補うものとして誇っているのが特徴であり、したがって「真理文」としての里程記事も東夷伝には集中的に出てくる、とする。それが「なぜ三国志では、長里と短里が混在し、魏志倭人伝では短里だけが出てくるのか」に対する理由ではないか、と説明している。尚、この本では、『三国志』の中で短里によって書かれている記事、長里によって書かれている記事をともに多く例示し、短里、長里の一方だけで記述していることはないことを確認できる。
 何人かの説を並べてみた。ただ、どの論者も、魏志倭人伝に出てくる記事の里数の比率については正確である、という認識である。このことから、1里≒76mと考えることが妥当であると考える。

  日本古代史の復元 -佃收著作集-

  日本古代史についての考察